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小説家を目指し、すべてを捨てた父が息子に残したもの

北海道の旭川市より、遺品の整理に関して連絡が入る。日雇い労働をしていた父がアパートにて亡くなったらしい。
警察から連絡が入いり、週末にアパートを訪ねる為、現地を見てくださいと20代位の男性からであった。直接現地アパートではなく、アパート近くのファミリーレストランチェーンにて待ち合わせをおこなう。20代後半のきちっとした好青年の印象だった。

息子さんは、父親の話をまず第一に、されてこられた。
父は国鉄(現在のJR)に高校卒業後就職をしたが、本来は東京の大学の進学を希望していた。祖母に聞いたが、当時の家の経済状況進学を諦め就職したらしい。当時の国鉄宿舎にて自分が2歳のときに、東京へ行って以来逢った事は無く、父親の記憶はただ一つもありません。10年前くらいに一度母宛に、電話があったそうですが、連絡があったことを、母は、自分には、教えてくれなかったようです。私自身一度年賀状が祖母に届いており家族は、皆元気かと書いてありましたが正直許せませんでした。年賀状には、もう直ぐに小説家の登竜門の発表があり今年はいけそうだ。今は生活の為に、日雇いの仕事をしているが、いずれ皆に迷惑かけた分・・・・・で葉書が終わっており、上京をする直前に祖母から見せてもらった葉書のコピー飛行機の中で読んでいました。

私は室外で息子さんに待ってもらい室内1DKのアパートを確認した。4畳半とトイレ(バス無し)の部屋には、部屋の隅々に永井荷風を初めとする著名な日本文学書から、医学者、洋書、大量のご本人が書かれた原稿がところせましと積み上げられていた。一通り部屋の中を確認した後、玄関の外で待たれている息子さんより声をかけられる。警察より、死後3〜4日と連絡されましたが、整理していただけるのでしょうか?それと警察から聞きましたが私の住んでいる連絡先のようなものがあるそうです。何か確認をしてもらえませんか。

音信不通の故人よりご家族の連絡先を、警察がどのように調べたかは不明だったが、以外に多い大量の書物は、ゆうにトラック2台分にもなったがなかなか連絡先らしきものは、見つけられず苦慮する。トイレをつかわせていただいて宜しいですかと息子さんに了解後ようやく連絡先を発見できた。郵便貯金の故人名義であったが 故人の名前をマジックで消した後にIさんの名前があった。ここに北海道の連絡先と、約2ヶ月前に入金されていた記帳記録もあった。金額は21万弱位であろう。
息子さんに手渡した後の一言が印象に残っている。
そうですか、これで自分もふっきれました。